メアリー・マクラレン


メアリー・マクラレン

メアリー・マクラレン(Mary MacLaren 本名:メアリー・マクドナルド 1896年1月19日生)
 [アメリカ・女優]


 ペンシルベニア州ピッツバーグ生まれ。当初のキャリアはファッション・モデルであり、ニューヨークのブロードウェイでのレヴュー「The Passing Show of 1914」の舞台に立っている。1916年、ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)に入社、同年、タイロン・パワー・シニア主演、フィリップス・スモーリーとロイス・ウェバーが共同で監督した『暗中鬼』に出演して映画界にデビュー、次作、同社子会社のブルーバード映画製作、ウェバーが監督した『毒流』に主演して、スターとなる。同社では、『誰が為に』、『家を求めて』に主演、ハリソン・フォードが主演した『予言者』に出演、いずれも日本でも公開された。

 1917年、交通事故により瀕死の重傷を頭部に負い、10日間死線をさまようが手術の末、生還する。同年公開の主演作『耕す乙女』から、翌1918年の主演作『A Model's Confession』で復帰するまで約1年休業する。復帰後は、アイダ・メイ・パーク監督作に多く主演した。1920年代に入ると、主演作はなくなり、脇役に徹することとなる。1924年、ジョージ・ハーバート・ヤング大佐と結婚、それを期に同年11月26日公開の『涙の海路』を最後に一旦引退する。1928年、ジョージ・ハーバート・ヤング大佐と別離(離婚か死別は不詳)する。1931年、マクラレンにとって初のトーキー『The Mystery Train』で映画界に復帰する。のちにロバート・S・コールマンと再婚した。

 第二次世界大戦後の1948年、2度目の交通事故で重傷を負っている。この時ばかりは引退を余儀なくされた。1985年11月9日、カリフォルニア州ロサンゼルス市ハリウッドで呼吸器疾患により死去。満89歳没。同州グレンデールにあるフォレスト・ローン・メモリアル・パークに眠っている。


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