平井伸和


平井伸和

平井伸和(ひらいのぶかず 1969年12月30日生)
 [プロレスラー]


 東京都出身。父はプロレスラーのミツ・ヒライである。1990年7月、SWSの入門テストに合格し、第一期の練習生となった。1991年4月25日、畠中浩戦でデビューし、天龍源一郎率いるレボリューションで活動。
SWS崩壊後はWAR等で活躍、事故発生まで全日本プロレスに所属し出場。1992年、SWSの崩壊後、WARに参加。1994年、WAR代表として新日本プロレスのヤングライオン杯に出場し、徐々に頭角を現す。1997年10月、WAR世界6人タッグを獲得。1999年、三沢光晴体制となった全日本プロレスに新弟子扱いとして入団した。

 全日本プロレスでは第一試合での暖め役となっていたが、2008年10月11日後楽園ホール大会、第四試合にブードゥーマスクとして乱入。まさかのVOODOO-MURDERS入りとなりヒールターンとなる。2008年11月3日、リングネームをヘイトに変える。黒いフェイスペイントに専用の椅子がトレードマークとなった。2009年10月25日、カズ・ハヤシの持つ世界ジュニアヘビー級王座へ挑戦したが敗北。2011年1月にヘイトからスーパー・ヘイトにバージョンアップした。コスチュームは金色のロングタイツ、金髪、黒いフェイスペイントに黄金の消火器である。

 2011年5月29日の全日本プロレス・神戸大会に出場、試合後のインタビュー中に嘔吐し吐血が強く疑われ直ちに救急車で病院へ搬送された。急性硬膜下血腫と診断され、同日中に緊急手術を受けた。手術は成功し、5月31日の時点では自発呼吸や親族の問いかけに対する反応はあるものの、意識は回復していなかった。同年8月、報道関係者によって「意識は回復したが、記憶が戻っていない」と様子が伝えられ、同じく関係者曰く「症状の程度は聞いていないが事件当時のことをほとんど覚えておらず、そういった以上現役復帰はかなり難しい」と再起不能が濃厚であるとする説が確認された。

 試合中に頭部を打撲する場面がなかったにもかかわらず、脳に損傷を受けたことが当初より疑問視されていたが、後に同日の試合前に控室でVOODOOの総帥TARUとMAZADAより暴行を受けていたことが明らかになり、2011年11月22日にTARUとMAZADAが傷害容疑で逮捕された。逮捕された2人は「日ごろの態度が悪いことを叱ったが、反省の色が見られず殴った。」容疑と認めた。全日本に参戦したことのあるレスラーによれば、「キャリアでは平井の方が上なんだけど、地方興行でチケットをかなり売ることでTARUが幅を利かせていた。前に平井がリストラ寸前だったところをTARUが救ってやったこともあって、上下関係が逆転していた感じだった」という。その一方で、11月10日に平井と内縁関係にあった女性が平井と同居していた東京都目黒区の自宅で自殺するという悲劇も起きている。事件を苦にしての自殺と報道された。

 その後、平井は公の場に姿を現していないが、現在リハビリ中と伝えられている。記憶もあり、自力での歩行や食事もできるまでに回復しているという。





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