ソニー・リストン


ソニー・リストン

チャールズ・"ソニー"・リストン(Charles "Sonny" Liston 1932年5月8日生)
 [アメリカ・プロボクサー]


 アーカンソー州出身。リストンは幼い頃から犯罪で手を染めており、武装強盗や警官襲撃などで19回逮捕された記録が残されている。その間に刑務所でボクシングを覚えた。1952年、2年間の刑務所生活から仮釈放で出所、セントルイスのマフィアのボス、ジョン・ビターレと関係するようになる。1953年、プロデビュー。1956年5月5日、路上でリストンを呼び止めた警官に暴行を働いた上に拳銃を奪い去ったとして感化院へ9ヶ月間送られる。その後、再び警官相手に暴力沙汰を起こして町を出て行くよう宣告を受け、セントルイスからフィラデルフィアへ拠点を移す。この頃から数年に渡って、ボクシングプロモーターでフィラデルフィアマフィアの裏の顔を持つフランク・パレルモと、ニューヨークマフィアのルッケーゼ一家の一員でマーダー・インクの殺し屋でもあったフランキー・カルボに支配下で試合を行うようになる。

 身長184cmながら、213cmというずば抜けたリーチ、周囲38cmという巨大な拳によって放たれる豪打を武器に、1962年9月25日、フロイド・パターソンに1ラウンドKO勝ちし、世界ヘビー級タイトルを獲得。1度防衛。1964年2月25日、フロリダ州マイアミビーチ・コンベンションセンターにてカシアス・クレイ(モハメド・アリ)の挑戦を受け、6ラウンド終了後に試合を棄権(試合はRTD負け)して王座を陥落。1965年5月25日、メイン州ルイストンにてクレイにリターンマッチを挑むが、1ラウンド2分12秒でクレイに返り討ちのKO負けを喫した。

 1971年1月5日、帰省から戻ってきた妻がラスベガスの自宅ベットの下でリストンが死んでいるのを発見、検査官によって既に6日前に死亡していた推定された。死因についてはキッチンでヘロインが見つかり、リストンの腕にも注射痕があったことからヘロインの過剰摂取が疑われた。しかし、死因はいまだに判然とせず、心臓麻痺やカネを巡るトラブルでマフィアに殺されたとの謀殺説も存在する。

 1970年12月30日死去(享年38)


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