アレクシス・アルゲリョ


アレクシス・アルゲリョ

アレクシス・アルゲリョ(Alexis Arguello 1952年4月19日生)
 [ニカラグア・プロボクサー]


 マナグア出身。華麗なテクニック、端正な容姿から、リングの貴公子、またその痩身長躯に似合わぬ強打から“破壊的な痩せっぽち”とも呼ばれた。

 1968年、プロデビュー。初の世界挑戦は1974年2月16日、エルネスト・マルセルの持つWBA世界フェザー級タイトルだった。この頃のアルゲリョはまだ無名の存在だったが、王者相手に大善戦し小差の判定負け。9ヶ月後の1974年11月23日、マルセルが返上したタイトルを獲得した「ミスター・ノックアウト」ルーベン・オリバレスの初防衛戦の相手に選ばれる。アルゲリョは10回以降KO負けのピンチに見舞われるが、13回、左フックのカウンターでオリバレスを横転させ、さらに粘る王者を右アッパーで沈め、世界タイトル獲得。ニカラグア初の世界王者となり、このタイトルは4度防衛した(いずれもKO)。減量苦もあり、1976年にはタイトルを返上。この後一時引退するがすぐに復帰。1978年1月28日、10度防衛中のWBC世界ジュニアライト級王者アルフレド・エスカレラと対戦し、13回TKO勝ちで2階級制覇を果たした。減量苦から開放されたアルゲリョは8度(7KO)の防衛を達成した後、タイトルを返上した。

 1979年に母国ニカラグアがサンディニスタ革命によって共産化すると、アルゲリョはそれまでの防衛戦で稼いだファイトマネーを没収されたために、米国に亡命せざるを得なかった。にもかかわらず、以降もボクサーとして素晴らしい成績を残したことは、彼の精神力が並々ならぬものであったことの証左である。1981年6月20日、ジム・ワットの持つWBC世界ライト級タイトルに挑み、ダウンを奪っての判定勝ち。3階級制覇を果たした。このタイトルは4度(いずれもKO)の防衛を果たし、返上。1982年11月12日、当時史上初となる4階級制覇を目論んで、アーロン・プライヤーの持つWBA世界ジュニアウェルター級王座に挑戦。強打をヒットさせるなど善戦したが、14回にプライヤーの連打に捕まりロープ際で滅多打ちにされ立ったまま失神。TKO負けを喫した。翌1983年9月9日の再戦でも10回KO負けとなり夢は叶わなかった。

 その後、セミリタイア状態(ニカラグアの反政府活動に従事したとの説もある)が続き、1985年に試合後の検査で心臓に欠陥があることが判明、1986年2月9日の試合を最後に引退することになった。8年後の1994年8月27日に再復帰するも、1995年1月21日の試合を最後に再度引退した。引退後はボクシング審判員として活動。また、政治家も務め、2008年にはニカラグアの首都マナグア市長に就任した。同年の北京オリンピックでは開会式でニカラグア選手団の旗手を務めた。当時12歳のローマン・ゴンサレスを指導し、アマチュア87戦全勝に貢献した。

 2009年7月1日、自宅で死亡しているのが発見された。死因についての公式発表はなされず、拳銃自殺との噂が伝えられたが、後に現地新聞が自殺説に異論を唱える記事を掲載(遺体には複数の打撲や傷跡の痕跡があったとされる)。アルゲリョの娘と息子も一貫して他殺であったことを訴えている。警察は遺体の胸に致命傷と思われる銃創があり、事件性を示す具体的な証拠は見つからなかったことや、アルゲリョが過去にアルコール依存と薬物依存に苦しみ自殺未遂を起こしたことなどから自殺の可能性が高いとみている。

 2009年7月1日死去(享年57)


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