備州山大八郎


備州山大八郎

備州山大八郎(びしゅうやまだいはちろう 本名:三谷順一 1919年11月4日生)
 [大相撲力士]


 広島県出身。伊勢ヶ濱部屋に入門し、1936年1月場所、16歳で初土俵を踏んだ。番付に付いてからすべて勝ち越して、1941年1月場所で新入幕を果たす。短躯肥満の体型からの鋭い突き押しが得意で、新入幕から3場所連続で負け越したが東西制の時代だったので、逆に番付が上がるという現象を見せてしまった。1942年5月場所、初めての対戦で横綱・羽黒山を破り、金星を獲得。以後羽黒山を何度も破り、対戦成績は備州山からみて2個の不戦勝も含めて7勝6敗と互角に戦った。なお、羽黒山引退の時の最後の不戦敗は備州山相手のものである。

 1945年6月、空襲のさなかに行われた本場所で、備州山の大活躍があった。この場所は5月に神宮外苑で予定されていたものが空襲で延期され、6月に両国国技館でほぼ非公開の状態で、7日間で実施されたものだった。東前頭筆頭の備州山は初日に羽黒山を破って勢いに乗り、そのまま全勝、幕内最高優勝を遂げた。翌場所では新三役となる関脇に昇進、5勝5敗の五分の星を残したが、次の場所では小結に下げられた。その後は平幕の中堅力士として推移し、三役への返り咲きも一度だけだった。

 晩年は糖尿病を患い、1955年1月場所では十両に陥落、幕内優勝経験者が十両で相撲を取る最初のケースになった。同年3月場所限りで引退し、年寄・桐山を襲名して後進の指導に当たっていたが、42歳の若さで亡くなってしまった。

 引退後の備州山には苦難が続いていた。経営していたちゃんこ料理店を赤字のために閉店し、自宅アパートが火事で全焼し、自身の死から1年後には一家の大黒柱の死で将来を悲観した未亡人が2人の娘を道連れに一家心中する事態まで起こった。

 1962年3月19日死去(享年42)


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