パウロ・セルジオ・オリヴェイラ・ダ・シルバ


パウロ・セルジオ・オリヴェイラ・ダ・シルバ

パウロ・セルジオ・オリヴェイラ・ダ・シルバ(Paulo Sergio Oliveira da Silva 1974年10月19日生)
 [ブラジル・サッカー選手]


 エスピリトサント州ヴィトーリア生まれ。愛称はセルジーニョ。地方の無名クラブを転々としていたが、活躍が認められ、1999年にADサンカエターノに入団する。空中戦に強く、ハードな当たりが持ち味のディフェンダーで、入団当初からレギュラーとして活躍。2000年および2001年にカンピオナート・ブラジレイロ2年連続準優勝、2002年にはコパ・リベルタドーレス準優勝、2004年カンピオナート・パウリスタ優勝に貢献する。

 2004年10月27日、サンパウロのエスタジオ・ド・モルンビーで行われたサンパウロFC戦の後半14分、自陣ペナルティエリア内で突然崩れ落ちるように倒れた。セルジーニョは心臓発作を起こしており、ピッチ上で人工呼吸や心臓マッサージによる応急処置の後、サンパウロ市内の病院へと搬送された。
パウロ・セルジオ・オリヴェイラ・ダ・シルバ2

 試合はセルジーニョが倒れたことで中断され、スタジアムの電光掲示板には「セルジーニョ、我々は君の無事を祈る」というメッセージが表示された。サポーターから「セルジーニョ」コールが起こり、ほどなくセンターサークルに審判団、両軍の選手、関係者たちが円陣を作り、全員が肩を組んで祈りを捧げた。しかし、セルジーニョは病院到着から40分後に死亡した。検死により、彼の心臓が600グラム(成人の平均サイズの2倍)の重さであることがわかった。彼はこの試合の8日前に30歳の誕生日を迎えたばかりで、妻と4歳の息子がいた。

 その後、セルジーニョが今季開幕時の精密検査で心臓疾患(不整脈と心臓肥大)が見つかり、医師から問題を指摘されていたことが判明。サンカエターノはセルジーニョの心臓に問題があることを知っていながら試合に出場させたため、彼が急死した責任を問われ、勝ち点24(8勝相当分)を剥奪される処罰を受け下位に沈んだ。

 2004年10月27日死去(享年30)





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