伊集院浩



伊集院浩(いじゅういんひろし 1907年6月14日生)
 [プロレス解説者]


 鹿児島県出身。旧制・順天中学を経て、明治大学に進む。明大ではラグビー部で活動。ポジションはプロップ。1931年度の東西学生ラグビーフットボール対抗王座決定戦において、京都帝国大学を下して明大は初の『全国制覇』を達成したが、そのときのメンバーである。また、ラグビー日本代表選手として、1932年のカナダ代表来日試合に2試合とも出場。卒業後、毎日新聞に入社。長らく同社の運動部記者として活動。後に同社同部の部長となった。

 第二次世界大戦後、日本プロレスが設立されると、毎日新聞がその後援会社となったため、プロレス中継の解説者として起用されることになった。その縁もあり、後に日本プロレスの看板レスラーである力道山から、ボクシングジムを開設するため、その会長になってもらえないかと『平身低頭』に打診を受けたため、当時55歳だった毎日新聞の定年を半年繰り上げて退社し、会長に就任した。ところが会長就任後、力道山は態度を翻し、当人をぞんざいに扱うようになったため、会長とは名ばかりの肩書にすぎなくなった。

 そうした扱いに対する鬱積が原因となり、1963年2月20日、東京・東中野の自宅の都営アパートで割腹自殺を遂げた。純白のシーツを広げ、伊集院家伝来の長剣で切腹後、喉笛を刺し貫いて果てる作法通りのものだった。なお、傍らには血まみれになった力道山宛の遺書も残されていた。

 1963年2月20日死去(享年55)


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