ジョージ・サンダース


ジョージ・サンダース

ジョージ・サンダース(George Sanders 1906年7月3日生)
 [イギリス・俳優]


 ロシア・サンクトペテルブルクにて生まれる。両親共にイギリス人で、父ヘンリーは製鋼業者、母マーガレットは園芸家だった。ロシア革命で家族と共にイギリスに逃れる。

 マンチェスター工科大学卒業後は織物業に従事したのち、南米でタバコの投機事業を始めるが失敗してイギリスに帰国。仕事も無いので舞台俳優にでもなろうと発声のコーチを受け、ロンドンでショービジネスの世界に入り、1934年にノエル・カワード作の舞台に出演したのち、同年に端役として映画デビュー。

 1936年にある映画会社と長期契約を結ぶも、撮影所が火事で消失、これを機にハリウッドに行き、20世紀フォックス社のスクリーンテストを受けた結果、1937年に『勝鬨』に出演、この出演で注目され、フォックスと長期契約。その後はもっぱら敵役を演じていたが、1941年にRKOの『The Falcon』シリーズの主役に起用される。以降はクレジット・タイトルがトップかもしくは2番目に出てくるほど、ハリウッドでも重要な俳優のひとりとなった。

 1950年の『イヴの総て』でシニカルで非情な策を弄する演劇コラムニストを演じてアカデミー助演男優賞を受賞。冒険活劇のヒーローから下劣な悪党まで演じる老獪な個性派俳優として、時には主役も喰うような印象を残した。

 私生活では結婚、離婚を繰り返した。最初の妻はスーザン・ラーソンで、1940年10月27日に結婚し、1949年に離婚した。2番目の妻はハンガリー人女優ザ・ザ・ガボールである。離婚後の1956年、サンダースとザ・ザは映画『Death of a Scoundrel』で共演した。3番目の妻はロナルド・コールマンの未亡人である女優ベニタ・ヒュームであり、1959年2月10日に結婚した。ベニタは1967年に死んだ。4番目の妻はザ・ザの姉マグダ・ガボールであり、1970年12月4日に結婚した。マグダとの結婚生活はわずか6週間で破綻し、彼の酒量は著しく増加するようになった。

 彼の友人デヴィッド・ニーヴンは自身の自伝『Bring On The Empty Horses』で、1937年にサンダースが自分は65歳になったら自殺するということを宣言していたことを述懐している。その言葉どおり、1972年、スペインのバルセロナ近郊のカステルデフェルスにあるホテルで5本のネンブタール(鎮静麻酔薬)を飲み自殺した。遺書には「世界よ、退屈だからオサラバするよ。もう十分長生きした。このステキな糞溜めの中で、君たちが不安に頭を抱えたままにしておこう。せいぜいお幸せに。」と書かれており、その生涯は気障な皮肉屋を突き通した謎多きものだった。

 サンダースの遺体は火葬され、その遺骨はイギリス海峡に散骨された。

 1972年4月25日死去(享年65)


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