《19歳の別れ》
    【友人Hの場合】   
19歳の頃に友人Hの死を目の当たりにした事は 私の人生で初めての経験。これから先 自分の生き方に多くの影響を与える大切な出来事になったのです。私と友人Hは数年ぶりに再会した事は偶然ではなく必然だった事を思い知らされる事となった。その日の朝は何故かいつもより一本早い電車に乗る事が出来ました。自分とほぼ同時に電車に乗り込んで来た奴が居ました。顔を見ると中学校の同級生のHでした。Hも私に気づいて懐かしい話しをして次の日曜日に四人でHの車でドライブの約束をして別れました。そして約束の日曜日四人で箱根へ向かいました。しかし友人Hの運転はとても荒くスピード狂でした。何でそんなにスピードを出すのか?訪ねると友人Hは『俺はこの車が大嫌いだからこの車が壊れたら新しい車を買ってもらえる!』そんな理由らしい。その日は生きた心地がしないまま無事帰宅。それから5日後の昼頃友人Hが交通事故を起こしたと知らされ病院へ行くとHの母親が受付けで私達を迎えてくれました。しかし母親の顔を見てHの命が危うい事を感じ取りました。病室へ向かう間Hの母親から怪我の状態の説明があり『三人で代わる代わるHの手を握って話し掛けてやってください。本人には聞こえてますから』病室に入ると人工呼吸機の音が鳴り荒いHの呼吸音が繰り返す。事故は左カーブをHは猛スピードで進入。カーブを回り切れず運転席側面を対向車に向けたまま対向車と衝突。Hはドアとハンドルの間に体の半分以上を挟まれほとんどの内蔵が破裂しているとの事でした。私がHの左手を両手で祈る様に私の額に寄せてHの名前を呼んだ三回呼んだ。するとHの手が小さく2回握り返して来た。私は震えた。そして涙が流れた。私は思わず声に出した。『何でこんな事に・・』するとHの左目から涙が流れた。それから2日後Hは旅立ちました。人の死を目の当りにする事はとてもショッキングで悲しい。でもそのプロセスが私の魂の学びに繋がるのです。あの朝Hと再会した事が神様からのお知らせだったのか?人は死を考えられない。しかし誰かの死を目の当たりにした時 初めて人は優しくなれます。人はいつか死んでしまう。親や身近なあの人も・・『死』は突然やって来ます。神様は まだ若い私に友の死によって私の未来の大切な礎となる学びを与えてくれた友人Hは今も私の心の中に・・・・


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【友人Yの場合】
高校入学して三ヶ月で友人Yは白血病で入院 しかし友人Yは私達を病室へ招いてはくれなかった。最初は友人Yの気持ちを分かろうとしていなかった私達ではあったが ある日病室の前で友人Yの母親に偶然に会った時に『Yは自分が元気になったら皆に会いたい!』ってYが言っていた事を伝えてくれました。Yは辛い治療をしながら病気と戦いっている。そう信じて私達は待ちました。でもそれから二年友人Yとは会えぬままとなりました。あまりにも悲しくて悔しい出来事でした。

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【父の死】
私 父親が大好きでいつも父の背中を見てました。普段の父は静かな人で趣味で自慢のNikon一眼レフカメラを磨いてました。あの頃の私達家族は父親の社宅2DKで生活していたのでフィルムを写真にする部屋に押し入れの中を改装。現像作業を手伝ってました。父親はDIYや絵 達筆で芸術家的で とても繊細な心を持つ人でした。この頃は家族にして見れば一番幸せを感じてました。しかしそんな優しい父親を怖い父親に変えてしまう事になります。それは私と姉にして見れば突然転がり落ちて来た大型台風です。父の母親と父親と父の障害のある妹3人が我が家に入り込んで来て父の両親が私の母をいじめてました。2DKの狭い社宅の中に3人も増えたのですから それだけでも精神的に落ち込んでしまうのに文句ばかり言われたのです。とうとう母は追い込まれ父に猛反発。数日後 父と両親が喧嘩して出て行きました。それから母と父は喧嘩ばかりとなり父は酒び足りとなり仕事を辞めては遠くの地を転々としました。兵庫県から北海道。北海道から千葉県。千葉県では二ヵ所それでも母は父に着いて行ったのです。私が中学1年の時に父と母は離婚しました。そして私が中学3年の春に父はアルコール性大量吐血で亡くなりましはた。父が亡くなり私は父の事をずーっと考えてました。どうして父はあんな父親になってしまったのか?父は54歳で亡くなり父は私の夢にも出て来て暗い何も無い部屋の隅に丸いすに座り心配そうな目をして私を見つめていました。





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【生き通し】

息を引き取ると言いますが。人は死ぬ時に息を吸って亡くなるそうです。そしてこの世に生まれて来る時。お母さんのお腹から生まれ出た瞬間 吸っても無いのに『おぎゃー!』と息を吐いて生まれて来るのです。これを『生き通し』と言います。生まれてから死ぬまで 子供から大人になり年を取って この体の続く限り私達は色んな事を経験し 成長して行きます。それは私達の魂も同じで もう何万回もこの世に生まれあの世に生まれを繰り返しながら成長しています。私達は今世とか過去世、来世を区切って考えていますが魂にして見ると何の区切りもないのでしょうね。

【三世は続く】

肉体は死んでも魂は死んだりしません。いや魂は死ねない。だから続けていけます。今世とか来世 過去世とか区切りなく何万回でも転生を繰り返します。 年を取ったからと諦めないでください。自分がウキウキする事は何でも チャレンジして下さい。今世の頑張りが来世に続きます。それを人は生まれついての才能と言っているのです。そう考えると人生の視野が広くなり 人は幸せになります。幸せになると守護霊が喜んでくれて守護霊は貴方を力強く支援してくれます。

【足のない幽霊】

皆さんは 幽霊と聞いた時 どんな幽霊をイメージしますか?多分足がなくて 腰から下は先細になって 宙に浮いて『恨めしやー』って感じかな? 実は この幽霊 亡くなってからまだ数時間から 数日の新しい幽霊だそうです。と言うのも本当は足のはずだった先細の先端は 魂が抜け出た自分の肉体に糸の様なもので繋がっているのです。なので一番最初に足がない幽霊の絵を 描いた人が見た幽霊は亡くなったばかりの幽霊なんですね。ちなみに 肉体と魂がいつまでも繋がっている訳ではありません。49日までの間に肉体から離れます。それでは肉体から離れた幽霊は・・・?と言うと。ちゃんと足があるんです。だから 本当は皆様にも 幽霊が見えている。そう街を歩く人と何ら変わりなく歩いているそうです。血を流すとか悲惨な姿じゃあないんです。(通常 肉体から離れた魂は亡くなってから49日までには行き先が決まり幽霊にはなりません。)

【自然死(老衰)】

人は家族に見守られ静かに最後の時を迎えたい。自分がどの様に最後の時を迎えたいのか。延命措置を行うか?行わないのか?その答えを家族に選択させてはいけないと思います。それを伝えられなかった家族はとても苦しむ事でしょう。ちなみに私は延命はしたくない事を家族に伝えています。安らかに死を迎える。それは自然死(老衰)です。人間は死期が近づいて来ると次第に食事を取れなくなって来ます。同時に水分も取れなくなります。脱水症状と体力減少で徐々に眠っている時間が長くなります。生まれたばかりの赤ん坊は自分で寝返りを打つ事が出来ない。介護保険では要介護5です。次第に食事の量が多くなり起きている時間が長くなります。成長と共に介護度が減って行く。人間の末期は赤ん坊の成長課程の逆転進行して行きます。体内に取り入れた食べ物や水分を処理が出来なくなり意識が混濁して やがて脳内から麻薬成分が分泌され苦しむ事が無い様です。妻の父親 母親 私の母親3人はとても安らかな旅立ちでした。

【誰だ!背後から私の襟を引っ張っているのは?】

私がまだ小学2年生だった頃の休日の朝母親に頼まれた朝食のパンを買いに近所のパン屋に走った。母親にパンを渡して二階の自分の部屋に戻ろうと階段に両手を着き四つばいで登っていた。あと四段で部屋だと言う所で イキナリ背後で私のTシャツの襟が引っ張られて背中から落ちて行った。スローモーションで転がり落ちている。不思議な事に痛みはない。ただ母親の事だったり、姉の事だったり、父親の事など走馬灯の様に流れている画像を見ながら落ちていた。気が付くと1階の廊下に座って居ました。左の鎖骨が折れてました。しかし私の襟を引っ張ったのは誰だったのだろう。私は両手を階段に着けて前傾姿勢で登っているのに真後ろに階段を落ちて行くなんてあり得ません。私は感じてました。大きな手に引っ張られた事を!

【馬鹿な私】

あの子が居亡くなった年はヤケになっていた。自分は死ぬのは恐くはない。そう思っていた。そんなある日の事。洗車でもしようとドライブスルー洗車機の順番待ちの列に並んだ。先行車は洗車中 三台目は私 二台目は順番待ちでタイヤを洗っているのは普通の光景 しかし先行車の洗車が終わっているのに ボディーまで手で洗っている。無性に腹が立った私はそいつに向かって激しく罵倒した。すると奴は私をニラミ『爺 黙って待ってろや〜!』奴は私の方へ二歩近寄って来た。その時私はこう感じた。『奴なら完璧に私を殺してくれる。』と 私は奴への罵倒を繰り返した。でも奴は 私を無視している。今 思えば 私の様な人間なんて相手にするはずがない。奴の方が一枚上手だった。こんなに酷い事を言っている私はなんて馬鹿なんだろう。その場を立ち去りました。車の中で私の手足が震えている。馬鹿な自分に腹が立ち涙がこぼれた。

【聴こえました。】

炉の扉は閉じられた。その時が終わるまでの控え室へ向かおうと炉を背にした時あの子の声が聴こえた。『お父さん』振り返るとうっすら笑うあの子の遺影がそこにありました。その声はとても穏やかでした。

【私は まだ死んではいけない】

私は今寝ています。夢を見ています。(以前 妻から言われてはいたんですけど私は時々 無呼吸になるそうです。)そこは江戸時代の宿場の二階の三畳ほどの小さい部屋布団は乱れ浴衣もはだけ大の字で寝ている私を天井から見ているもう一人の私がいる。そこに凄い剣幕で4年前に亡くなった義理の母親が私を起こしている。それでも起きない私に『ここはあんたが来る所じゃあない。早く帰れ!戻れ!』最後に 義理の母親は自分の頭を振り挙げ 私の胸に 顔から振り降ろした所で目覚めた。どうして私はあの世へ行く事が出来ないのか。このまま行けたら どんなに楽であっただろうか?今 思い返して見ると 私が一番怒られたくない人を神様は知っていたらしい。あの時義理の母親でなく外の人であったなら今頃 この世には居なかったでしょう。

【そもそも】

私たちは そもそも勘違いをしているようです。人が死を迎えると必ず天国か地獄へ行くと思いがちですが。どうやら違うらしいです。そもそも天国とか地獄なんて所は あの世にはありません。よく人は言います。自分の身に予期せぬ出来事が降りかかると「この世は地獄だ」とね。でもそれが真実とも言えるのです。そもそも人はこの世に魂を向上させる為に この世に生まれ幾つもの試練を乗り越えるのです。以前から私が述べている様に この世を地獄にするか天国にするかは皆さんの考え方次第なんです。神様は この世で試練ばかりを与えているわけではないのです。楽しい事 美味しい物も与えてくれます。数は少ないかもしれませんが時々来る大きな喜びや小さな幸せを礎にこの世を天国に近づけていけたらと思います。

【奇行】

息子がこの世を去り 私たち家族の生活は一変しました。人が不快に感じる全ての感情に 押しつぶされそうな毎日でした。『泣いているヒマなどない。』それでも時間は止まらない。慌ただしく時間が過ぎていく。葬儀も終えて四十九日も終えて色々な体験をしました。あの世界へと旅立った息子からのメッセージを私の頭の中に感じるのです。何もして上げられない。何も考えられない。ただただ重い後悔が私達を苦しめる。家族の心の痛みは計り知れない事だと思います。妻は妻なりに 長男は長男なりに少しずつ前に進む方法を見つけたのだと思います。しかし毎日が悲しい。私はこのサイトに 私の思いを書き込む事で何とか前向きに歩んでおります。人に変わり者と言われました。まあこんな事になる前から近所付き合いはなかったですからねぇ。今の私には変わり者のと言われて相手にされない方がいい感じです。私の奇行ですから。

【人生の岐路】

死ぬかもしれないと思う程の大病で あの世を少しだけ見て来ました。今 思い返してみると あれが私の人生の岐路なんだと思いました。私は今 生きている。人は大病でもしなけれは気がつかない。この世とあの世の狭間でさまようなど そうそう体験出来る事ではないが。そもそも人はここまでの体験をしなくても大病を患うだけで気がつきます。たまたま私はここまでの体験をしてしまいましたが。人は一人では生きていけない。家族がいてくれる有り難さを涙を流し感謝した。それからの私は「周りの人たちに何をしてあげられるか」「優しい心の持ち主でありたい。」神様は私にチャンスをくれたのです。この事を忘れず日々奮闘中です。

【友達の話し】

先日 数年ぶりに小学校からの友達とバッタリと再会した。食事をしながら昔話しに花が咲き友達がこんな事を話してくれました。「人って自分の知らないうちに他人を傷つけて俺って何て酷い奴なんだと悩んだりするけどさ。その反面自分が知らないうちに他人を救ってる時があるみたいなんだよね。(どや顔)」そんな話をしてました。私の考え方で少し補足しておきますが傷つけられたその人にはそれもまた学びなのだと思います。確かに 私もこいつに何度か・・いや 随分と救われた気がする。やはり人には一人一人役目がある。人が学ぶ事は人間関係からの学びがほとんどだから自分がこの世界で何の為に生きているのかなんて悩むことなどないって事。こうして話していると神様 仏様はとてもシンプルで無駄がないです。そうして人間は生きているだけで役目を果たしているのですねぇ。

【家族】

家族5人で暮らしていたのにいまでは3人で暮らしている。3年前に次男が25歳の若さで死んで 2年前に私の母親が癌で78歳で死んだ。何よりも次男の死が家族には計り知れない程の心の闇を作りあげたのです。息子が亡くなり4年目を迎えて長かったのか短かったのか妻は妻なりに 長男は長男なりに前向きに生きる方法を見つけたようです。しかし子供を先に亡くした夫婦は中々上手くいかない事の方が多いらしいです。男性と女性では悲しみを乗り越えるプロセスが違うんですかね。私も妻も自分が悲しみを乗り越える事でいっぱいいっぱいでしたから・・・そんな中でも長男と妻は互いにかばいあい前向きに生きようと言う兆しが感じられ 私は自分の事のように嬉しく思いました。そして私はと言うと こうしてほぼ毎日書き込みをしながら悲しみを乗り越える事に専念しています。この事は妻には話してはいません。でもパソコンを触る事もしなかった私が突然パソコンを購入して長い時間部屋から出て来ないのだから妻には良く思われるはずがありません。私が部屋の中で何をしているかは でも今更止めるわけにはいかない。と言う事で私は同じ屋根の下に住む同居人なんです。私は自分から妻には言いませんよ。別居とか離婚なんて事は私からは絶対に・・・








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